黒坂兵右衛門

 黒坂兵右衛門は慶長15年(1610年)西成瀬村(現横手市増田町)熊渕に生まれる。正確は温厚にして人情味あり。当時の熊渕あたりは肥えた土地でありながら水利に乏しく、村人は殖産しようとしたが成功せず、ただ雑草が蔓延するのに任せていた。

 兵右衛門は村人は飢えや寒さに耐えている姿を見て、ついに意を決し水路を開削し開墾することをお役所に願い出た。しかし、お役人が調査したところ、その工事の難しさを見て、ただこれは村人を惑わし、お米やお金をだまし取ることを企てているのではと疑われ、兵右衛門は敢然として家財を売り払い、その資金を調達して、「もしこの工事が成功しなかったときは自刃あるのみ」とはりつけ柱を立てて決意を示す。お役人その熱意に負けてついにこの工事を許可する。

 承応元年(1652年)3月、水源を成瀬川の上流に定め着工する。以来寝食を忘れ、自らモッコをとり、苦労を惜しまず、資金欠乏してはその調達に苦心し、兵右衛門が所有する田畑、屋敷等をすべて売りつくし、無一文になる。
 苦心のすえ、9年の歳月を経て、万治3年(1660年)ついに工事が完成する。水路の延長2里(8q)余り、開墾面積100町歩(100ha)に及び、その恩恵に浴する農民ら相談してはりつけ柱を建てた地に一碑を建てて、毎年3月18日祭祀を行う。 (現在6月初旬)
 さらに明治26年3月再び碑を建てて、大徳院福水良田大居士の諱を贈り、その徳を称う。

 現在におけるかんがい面積200町歩余りに及び農家戸数250戸を数える。これら子孫の永遠の恩恵を浴することを想えば、その功績誠に大なり。

                    天和2年(1682年)正月17日病死